f1のミカタ

クルマのテクニカルなことはあまりよく分からないF1ファンに読んでもらいたいブログを目指しています

F1 2016シーズンの新予選フォーマットは改悪?

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野球とは違うスポーツ

F1は、例えば野球のように逆転し、逆転され、というような派手な展開を期待してはいけないスポーツだと筆者は思っている。
 
それは、90分のほとんどが0対0で、均衡が破れないフットボールのような展開が普通。だからグルグルコースを回ってるだけとか、パレードとか言われたりする。
 
では何がおもしろいのか? 言うなら、こう着状態の中で起こる一瞬のきらめきや輝きを期待するスポーツということだろうか。なかなか起こらないことだから、オーバーテイクが起こったときには心が沸き立つのだ。
 
希少価値との遭遇。筆者にとってF1とはそういうスポーツだ。
 

誰かが独走状態であることは、どんなスポーツにとっても望ましくない。でも、このスポーツにおいては往々にして起こってしまうことでもあって、ファンはそのことを知っている。一強状態だったしても人々の強い興味を惹くだけの力があるスポーツなのだ。

 

寝耳に水の変更

なんでそんなことをわざわざ言うかというと、2016シーズンのスポーティングレギュレーションに大きな変化があるからだ。そのうちの一つが予選フォーマットの変更。

 

これまでQ1からQ3まで段階を分け、生き残り形式でグリッドを決める予選に、時間的制限の要素を追加して、よりサバイバル感を増した形になる。

 

こんなルール変更計画が進んでいたなんて、まったくノーマークだっただけに、かなり驚いた。

そして最初は変更の内容の意味がよく理解できなかった。

とても複雑になりそうな予感。

 

2000年代初期の予選暗黒時代を経てできた前フォーマットは、エキサイティングなグリッド争いを取り戻せていた。これといって問題はなかったはず。
 
どうして、いま変えることにしたのだろう?
 

景気対策の一環

これも昨今のF1人気回復対策かと思うと、とても残念な気持ちになる。
予選に今以上の不確定要素を盛り込んで、決勝を少しでも「普通じゃない状態」に操作しようとしているということだ。
 
そういうことが逆効果であることを、どうして理解しないのだろうか。
 
ファンはスポーツに人工的なニオイ感じると離れていくものだ。これはどのスポーツに対しても同じ。スポーツには純粋さが要求される。だから人はスポーツに熱狂するし、贔屓のチームが勝てば嬉しいし、負ければ悔しがる。
 
このスポーツに影響を与えられる人たちには、もっとよく考えてほしい。
いや、あまり考えないで、普通に一人のファンとしてこのスポーツを見てもらうだけでいいのかもしれない。人にツクラレタ見どころに何を思うのか。
 
昨シーズンのマクラーレン・ホンダの降格グリッド数や2014シーズンの最終戦ダブルポイント制に見られるように、おかしなことが起こり続けているF1。下手にテコ入れをすることなど考えずに、成り行きに事を任せるのが一番良いのではないのか。
 
このスポーツを運営する人たちは、ただドライバーやチームが全力で戦える環境を提供してあげればいい。
 
明日3月18日から、今年もF1開幕する。